コメント総数:511件
食べてる人は見抜けなかったんでしょう? 名前に釣られ過ぎな日本人ですね
「鮮魚」の定義をレストランの人がみんなきちんと定義できるのか?厨房とメニューを書く人の連絡が取れてないんだろう。製菓とか工場で作るものの表示は公正取引委員会が目を光らせているが、レストランについても、第3者がチェックを行う仕組みが必要であろう。
いまさら?
確かに偽装した会社は悪いが、ブランドに拘り過ぎる消費者にも問題ありだと思う。
あんないいお店で食事をする機会がないので・・・
まだ他国よりは安心か・・・
決して許されるべき事ではないのは確かです。ただ、消費者の味覚等も騙されたとはいえ、食べた方は、まずいと思って食べておられたならばまだしも、ほとんどの方は、わからずに美味しいと思って食べておられたと思います。その当たり、消費者側も反省すべき点はあるようには思えてなりません。
昔からこういうのはどの業界でもあるものだと思う。 良しとも思わないけれど、そんなに騒ぐ程のものでもないと思う。 外食なんてそんなもの。食べる方もそれなりのリスクを想定すべき。
法的には規制はなかったので。 道義的責任は必要ですので、 これを機会に法整備が行われるといいですね
呆れた、がっかり。
種類や産地に拘りなんて無い!
虚偽表示は悪質。説明の有無に関しては商売上の策略なので何とも思わない。
これほど多いとは思っていなかった。
見つかるまで知らずに食べていたとは、人間の味覚はいい加減なものですね。
おろす業者が「これなんですか?」ときかれたときに、「○○のようなものです」と答えたら、そうやって記載すると思う。場所が違えば同じものなんて存在しない。これからは、「○○産」ではなく、「○○でとれた〜」って記載すればいいと思う。
表示されてなければ気にしないで食べる。表示されてるから気になると思う。
食べた人たちが、見抜けないという現実が、寂しいきがする。
わからん。
産地偽装、天然/養殖、ブランド豚の差し替えなどは言い逃れができない。小エビの総称的に芝エビと言っているなどは、カタクリの入っていない片栗粉、クズの入っていないくずきりと大差ない。どこまで一般が違いを理解しているのかもはっきりしない。
利用者の無知をあざ笑うようなごまかしは許し難い。 しかし、とんちが利いてるだけのモノは笑って過ごそうと思う。 我々に必要なのはそのさじ加減をブレずに持ち続けること。
コメント総数:511件
食べてる人は見抜けなかったんでしょう? 名前に釣られ過ぎな日本人ですね
「鮮魚」の定義をレストランの人がみんなきちんと定義できるのか?厨房とメニューを書く人の連絡が取れてないんだろう。製菓とか工場で作るものの表示は公正取引委員会が目を光らせているが、レストランについても、第3者がチェックを行う仕組みが必要であろう。
いまさら?
確かに偽装した会社は悪いが、ブランドに拘り過ぎる消費者にも問題ありだと思う。
あんないいお店で食事をする機会がないので・・・
まだ他国よりは安心か・・・
決して許されるべき事ではないのは確かです。ただ、消費者の味覚等も騙されたとはいえ、食べた方は、まずいと思って食べておられたならばまだしも、ほとんどの方は、わからずに美味しいと思って食べておられたと思います。その当たり、消費者側も反省すべき点はあるようには思えてなりません。
昔からこういうのはどの業界でもあるものだと思う。 良しとも思わないけれど、そんなに騒ぐ程のものでもないと思う。 外食なんてそんなもの。食べる方もそれなりのリスクを想定すべき。
法的には規制はなかったので。 道義的責任は必要ですので、 これを機会に法整備が行われるといいですね
呆れた、がっかり。
種類や産地に拘りなんて無い!
虚偽表示は悪質。説明の有無に関しては商売上の策略なので何とも思わない。
これほど多いとは思っていなかった。
見つかるまで知らずに食べていたとは、人間の味覚はいい加減なものですね。
おろす業者が「これなんですか?」ときかれたときに、「○○のようなものです」と答えたら、そうやって記載すると思う。場所が違えば同じものなんて存在しない。これからは、「○○産」ではなく、「○○でとれた〜」って記載すればいいと思う。
表示されてなければ気にしないで食べる。表示されてるから気になると思う。
食べた人たちが、見抜けないという現実が、寂しいきがする。
わからん。
産地偽装、天然/養殖、ブランド豚の差し替えなどは言い逃れができない。小エビの総称的に芝エビと言っているなどは、カタクリの入っていない片栗粉、クズの入っていないくずきりと大差ない。どこまで一般が違いを理解しているのかもはっきりしない。
利用者の無知をあざ笑うようなごまかしは許し難い。 しかし、とんちが利いてるだけのモノは笑って過ごそうと思う。 我々に必要なのはそのさじ加減をブレずに持ち続けること。