コメント総数:890件
人それぞれ。
英会話能力を身につける為ならもっと早くても良いが、現在のように受験の為の英語なら必要無い
いつから始めようが学校英語で英語を使いこなせるようにはならんわw所詮テストのためだけの点取り英語(笑)しか身に付かん
英語などいらん。今まで日本で生きてきて必要性を感じたことが一度もない。必要な人だけ学べばよい。
必要ない
植民地政策としての英語教育には反対です
土日休みのゆとりガキは何しても無駄(笑)
学校で勉強する必要はない。学校でするなら選択制でした方がいいのでは… 同じような特性を持った人を育てる必要はない。
どうせなら日本語捨てたら
やるなら1年生からやればいいと思うのですが、正式教科だと、テストをして成績をつけるってことになるんですよね? そうじゃなくて、聞いて、話せるように、楽しくやっていけばいいと思うんですけど。
日本語を覚える前に英語を覚えると、きちんとした文法を覚えられないそうです。なので、日本語の基礎を習得できた者のみ英語の授業を行う。もしくは、初めから英語を習得して、その後に日本語を覚える。何年生からではなく、個人の能力に合わせるべき。
本当にネイティブレベルにしたいなら生まれたときから聞かせていないとだめでしょうし、必要ないと言えば必要ないとも思うし、わからないです。ただ英語よりも日本語の教育に力を入れてほしいんですよねえ。ら抜き言葉がなんでこんなにはびこってしまったのか。
簡単な英単語や文法についてはそれでも良いかもしれないが、各生徒の他教科の成績や学習するペースによっては見直しの可能性も考えられると思う。過去にゆとり教育について見直した例もあるし、英語の学習開始は5年生からが妥当であるという考え方については、まだ適当であるとは言えない。性急と判断したのであれば、中学生からの必修科目に戻せば良い。
一つの分野を日本語と英語で学ぶ機会を設けていいと思う。社会とかは小中高重複してるのでどれか一つのステージは英語でもいい。同じ分野だから時間は通常より少なくて済む。英語を〜みたいにぶつ切りの発想だといくら時間あっても足りないし、現行の日本の制度だと成果は期待できない。限られたリソースをどう使うかという事を考えるべき。
小学5年生からでは遅すぎる。 5歳前後から始める事が必要である。 しかし、その前に「英語」だけでは無く、地球上には日本語以外にも様々な言語や民族が存在し、共存しているという事実を認識させ、実感させる必要がある。
言語は早ければ早いほうがいい。今の日本の英語の授業内容じゃいくら勉強しても意味ないわ。
何年生からというより、普通の生活で使えるような英語を教えてほしい。 ちなみに日本語もしっかり話せない小学生に英語は必要ないのでは? と思ってしまいます。
いつから始めるかより授業のやり方だと思う。 今のような「受験のため」のだと何歳から始めようと身につかないでしょう。
早ければいいのはスポーツでも音楽でもなんでもそうなんでしょうが、英語教育について論じているシーンを見ると、焦りビビり何かから逃れたいの空気しか漂ってないように感じます。言葉はコミュニケーション手段の一つ。いつどんな段階からでも身につける人は身につけます。教育(訓練?)の仕方・内容はどれほど詰められているのでしょうか?もっとも、子どもは何も意識せずに接して身につけるはずなので、大人側があれこれ過去の後悔と未来への不安を反映させ持ち込まなくてもいいと思いますが。
英語教育の内容の問題で会話できることを重視するなら早い方が良い。 学校教育では会話が出来ないと言われて久しい、教育内容を大きく変えないとダメで英語の話せない人々が検討してもと感じます。
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人それぞれ。
英会話能力を身につける為ならもっと早くても良いが、現在のように受験の為の英語なら必要無い
いつから始めようが学校英語で英語を使いこなせるようにはならんわw所詮テストのためだけの点取り英語(笑)しか身に付かん
英語などいらん。今まで日本で生きてきて必要性を感じたことが一度もない。必要な人だけ学べばよい。
必要ない
植民地政策としての英語教育には反対です
土日休みのゆとりガキは何しても無駄(笑)
学校で勉強する必要はない。学校でするなら選択制でした方がいいのでは… 同じような特性を持った人を育てる必要はない。
どうせなら日本語捨てたら
やるなら1年生からやればいいと思うのですが、正式教科だと、テストをして成績をつけるってことになるんですよね? そうじゃなくて、聞いて、話せるように、楽しくやっていけばいいと思うんですけど。
日本語を覚える前に英語を覚えると、きちんとした文法を覚えられないそうです。なので、日本語の基礎を習得できた者のみ英語の授業を行う。もしくは、初めから英語を習得して、その後に日本語を覚える。何年生からではなく、個人の能力に合わせるべき。
本当にネイティブレベルにしたいなら生まれたときから聞かせていないとだめでしょうし、必要ないと言えば必要ないとも思うし、わからないです。ただ英語よりも日本語の教育に力を入れてほしいんですよねえ。ら抜き言葉がなんでこんなにはびこってしまったのか。
簡単な英単語や文法についてはそれでも良いかもしれないが、各生徒の他教科の成績や学習するペースによっては見直しの可能性も考えられると思う。過去にゆとり教育について見直した例もあるし、英語の学習開始は5年生からが妥当であるという考え方については、まだ適当であるとは言えない。性急と判断したのであれば、中学生からの必修科目に戻せば良い。
一つの分野を日本語と英語で学ぶ機会を設けていいと思う。社会とかは小中高重複してるのでどれか一つのステージは英語でもいい。同じ分野だから時間は通常より少なくて済む。英語を〜みたいにぶつ切りの発想だといくら時間あっても足りないし、現行の日本の制度だと成果は期待できない。限られたリソースをどう使うかという事を考えるべき。
小学5年生からでは遅すぎる。 5歳前後から始める事が必要である。 しかし、その前に「英語」だけでは無く、地球上には日本語以外にも様々な言語や民族が存在し、共存しているという事実を認識させ、実感させる必要がある。
言語は早ければ早いほうがいい。今の日本の英語の授業内容じゃいくら勉強しても意味ないわ。
何年生からというより、普通の生活で使えるような英語を教えてほしい。 ちなみに日本語もしっかり話せない小学生に英語は必要ないのでは? と思ってしまいます。
いつから始めるかより授業のやり方だと思う。 今のような「受験のため」のだと何歳から始めようと身につかないでしょう。
早ければいいのはスポーツでも音楽でもなんでもそうなんでしょうが、英語教育について論じているシーンを見ると、焦りビビり何かから逃れたいの空気しか漂ってないように感じます。言葉はコミュニケーション手段の一つ。いつどんな段階からでも身につける人は身につけます。教育(訓練?)の仕方・内容はどれほど詰められているのでしょうか?もっとも、子どもは何も意識せずに接して身につけるはずなので、大人側があれこれ過去の後悔と未来への不安を反映させ持ち込まなくてもいいと思いますが。
英語教育の内容の問題で会話できることを重視するなら早い方が良い。 学校教育では会話が出来ないと言われて久しい、教育内容を大きく変えないとダメで英語の話せない人々が検討してもと感じます。