コメント総数:1237件
高校の部活動は、何時間やってもきりがなかった!!!
バブル経済絶頂期の時に、工場で丸一日働いた(働かされた?)事があります。現在なら有り得ないですね。
完全徹夜も珍しくは無かったが、今思えばいかに昼前無駄な仕事をしていたことか! 今思えば時間をかけても結果はむしろ劣る。 ま、管理能力の無い管理職も多すぎるけどね。大方の残業は単に自己満足、悪だ!!
昔は当たり前
徹夜徹夜で一週間…昔はよくあったよ(^^;)
欠勤したヒトの穴埋めで
定時に帰れる日などなく、週3日は日付変更線を超え翌日に帰宅。もちろんサービス。おつむを病んで15年目で退職しました\(^o^)/
9時間くらい。ほぼ毎日。休日も出勤。代休は禁止。結局、体を壊して解雇された。社員は使い捨て。
現在は家業の店で働いているため基本的に残業はないけど、かつて某運送会社に勤めていた当時はとんでもない長時間労働をさせられていました。そもそも日本の企業では「残業ありき」の思考が罷り通っており、これに関して諸外国からバカにされているのを知らなさ過ぎます。
人生で3~4回、徹夜で仕事してそのまま翌日の仕事があります。
中小のIT系ですから……
時々ある
若いころはあまり気にならなかったけど、残業扱いではなくても仕事が終わるまで帰れ(ら)なかった。今の人たちが軟弱とは言わないが、公務員でもサービス残業や土日出勤もあり、家族にも苦労させたし厳しかったなぁ。三六協定がうるさくなったのは管理職になってからでした。
徹夜、徹夜で月200時間越えた月があった。 夏のボーナスより給料のほうが多かった(笑) バブルの頃の話だけどネ。
年間残業時間1500時間ほど。今だけと言われつつ、もう15年以上続いてます。なのに給料は年々下がっていき、今や手取りは初任給並みに。んー、ブラックだ。
30年以上前、SEだったころに6日間連続で仕事して、帰り寄ったサウナで寝落ちして死ぬところだった。
身体壊して仕事辞めました
残業というか、徹夜でそのままずっと。 私じゃないけど、学生の時にバイトしてたファミレスで、店長と副店長が長時間残業は当たり前だったから、そういうところには絶対就職したくないと思った。
レセプトの総括票の計算が合わず深夜2時までやった事が2回。
最高記録は、当直日に全国ニュースになるでかい事件が出来て、机に突っ伏して何度か記憶が遠のいた他はまるまる3日間は仕事で拘束されて家に帰ることが出来なかった。
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高校の部活動は、何時間やってもきりがなかった!!!
バブル経済絶頂期の時に、工場で丸一日働いた(働かされた?)事があります。現在なら有り得ないですね。
完全徹夜も珍しくは無かったが、今思えばいかに昼前無駄な仕事をしていたことか! 今思えば時間をかけても結果はむしろ劣る。 ま、管理能力の無い管理職も多すぎるけどね。大方の残業は単に自己満足、悪だ!!
昔は当たり前
徹夜徹夜で一週間…昔はよくあったよ(^^;)
欠勤したヒトの穴埋めで
定時に帰れる日などなく、週3日は日付変更線を超え翌日に帰宅。もちろんサービス。おつむを病んで15年目で退職しました\(^o^)/
9時間くらい。ほぼ毎日。休日も出勤。代休は禁止。結局、体を壊して解雇された。社員は使い捨て。
現在は家業の店で働いているため基本的に残業はないけど、かつて某運送会社に勤めていた当時はとんでもない長時間労働をさせられていました。そもそも日本の企業では「残業ありき」の思考が罷り通っており、これに関して諸外国からバカにされているのを知らなさ過ぎます。
人生で3~4回、徹夜で仕事してそのまま翌日の仕事があります。
中小のIT系ですから……
時々ある
若いころはあまり気にならなかったけど、残業扱いではなくても仕事が終わるまで帰れ(ら)なかった。今の人たちが軟弱とは言わないが、公務員でもサービス残業や土日出勤もあり、家族にも苦労させたし厳しかったなぁ。三六協定がうるさくなったのは管理職になってからでした。
徹夜、徹夜で月200時間越えた月があった。 夏のボーナスより給料のほうが多かった(笑) バブルの頃の話だけどネ。
年間残業時間1500時間ほど。今だけと言われつつ、もう15年以上続いてます。なのに給料は年々下がっていき、今や手取りは初任給並みに。んー、ブラックだ。
30年以上前、SEだったころに6日間連続で仕事して、帰り寄ったサウナで寝落ちして死ぬところだった。
身体壊して仕事辞めました
残業というか、徹夜でそのままずっと。 私じゃないけど、学生の時にバイトしてたファミレスで、店長と副店長が長時間残業は当たり前だったから、そういうところには絶対就職したくないと思った。
レセプトの総括票の計算が合わず深夜2時までやった事が2回。
最高記録は、当直日に全国ニュースになるでかい事件が出来て、机に突っ伏して何度か記憶が遠のいた他はまるまる3日間は仕事で拘束されて家に帰ることが出来なかった。