コメント総数:738件
夏目漱石の後期3部作、最高です!
とにかく活字中毒だったので、名作、推理小説などジャンルを問わず読みまくった時期がありました。今は子育てに忙しく、ほとんど手に取ってません。
「細雪」が意外と得票少なくて、残念です。映画化もしていますが、原作はもっと素敵です。みんな読んでみて!
昔の若いころを思い出しました。
舞姫もこころも国語教科書から入った。 人間失格はゼミ系で・・・と考えると学校教育ってきっかけになるのでいいかも。
面白いと思って読んだ。忍耐しなければ読めんものなら不朽の名作ではない。 其れは駄作だ。
昔は、文学書を読む時間が沢山あったけど今は?
「舞姫」とか、若い頃はただ感動してたけど、今思うと主人公って結構ひどい男だよね。エリスに同情・・・
名作読むのに忍耐はいらないだろう。 設問者が読書しないのがバレバレ
学生時代手当たり次第に読みまくりましたが・・・・結婚・子育てしながらの仕事・・・などなど人生色々じっくり本を読むことが無くなってきましたね。それに疲れる!
三島は読む気が起らない なぜだろう
昔読んだからあまり覚えていないけど
すんげー、わけかわらんかったw
授業で読んだものもある
ほぼ全て
漱石は高校時代はまってよく読んだ。そうしたら国語の点数が急激に上がって自分でもびっくりした。
内容は・・・忘れた
教科書で読んだだけですが何か
言語や文字の存在しない時代では、人間の脳活動による情報処理は視覚的に処理される映像と内部表象イメージのみに依存していた。。映像とイメージの間に介在する道具として言語を記号化した文字が発明された訳なのでしょうが、最近主流になりつつある情報のデジタル化への急速な移行傾向を見るに付け、 文字や文章からイメージへの情報変換プロセスはコンピュータを使ってデジタル信号を画像情報に変換するプロセスと何となく類似しているように思う。ならば映像により視覚から脳へ直接画像情報を送る事は脳活動にとってはアナログテレビ的な情報処理なのだろうか。 だとすると今後人類は何か高度に重要な脳機能を退化させる事になるのかも知れない。読書をして脳のイメージ変換機能を鍛えておかないといずれ人間はロボットたちのペットになってしまうのかも知れないぞう。 しかし一方映像情報は文字情報に比べ量的には圧倒的に多いデータ処理プロセスを必要とする。そういうものを速やかに処理し判断するには言語処理に代わる新しい脳内活動が必要になるかも知れない。現代の情報洪水の中を巧く泳ぎまわる子供達を観察することで何かのヒントを得ることが出来るのかもしれないな。 しかし、例えば漱石の「こころ」を完璧に映像化することは難しいと思う。。 良い経験をするにはそれに見合った労苦を支払わなければならないという等価交換の原則が仮に真であるとするならば、読破にはそれ相応の知的労苦が伴う文学作品の読書なるものは有意義な時間の過ごし方の一つと言えるかもしれないなあ。だけど良い経験って何なのだろう?
中里介山の「大菩薩峠」は挫折したが・・・。
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夏目漱石の後期3部作、最高です!
とにかく活字中毒だったので、名作、推理小説などジャンルを問わず読みまくった時期がありました。今は子育てに忙しく、ほとんど手に取ってません。
「細雪」が意外と得票少なくて、残念です。映画化もしていますが、原作はもっと素敵です。みんな読んでみて!
昔の若いころを思い出しました。
舞姫もこころも国語教科書から入った。 人間失格はゼミ系で・・・と考えると学校教育ってきっかけになるのでいいかも。
面白いと思って読んだ。忍耐しなければ読めんものなら不朽の名作ではない。 其れは駄作だ。
昔は、文学書を読む時間が沢山あったけど今は?
「舞姫」とか、若い頃はただ感動してたけど、今思うと主人公って結構ひどい男だよね。エリスに同情・・・
名作読むのに忍耐はいらないだろう。 設問者が読書しないのがバレバレ
学生時代手当たり次第に読みまくりましたが・・・・結婚・子育てしながらの仕事・・・などなど人生色々じっくり本を読むことが無くなってきましたね。それに疲れる!
三島は読む気が起らない なぜだろう
昔読んだからあまり覚えていないけど
すんげー、わけかわらんかったw
授業で読んだものもある
ほぼ全て
漱石は高校時代はまってよく読んだ。そうしたら国語の点数が急激に上がって自分でもびっくりした。
内容は・・・忘れた
教科書で読んだだけですが何か
言語や文字の存在しない時代では、人間の脳活動による情報処理は視覚的に処理される映像と内部表象イメージのみに依存していた。。映像とイメージの間に介在する道具として言語を記号化した文字が発明された訳なのでしょうが、最近主流になりつつある情報のデジタル化への急速な移行傾向を見るに付け、 文字や文章からイメージへの情報変換プロセスはコンピュータを使ってデジタル信号を画像情報に変換するプロセスと何となく類似しているように思う。ならば映像により視覚から脳へ直接画像情報を送る事は脳活動にとってはアナログテレビ的な情報処理なのだろうか。 だとすると今後人類は何か高度に重要な脳機能を退化させる事になるのかも知れない。読書をして脳のイメージ変換機能を鍛えておかないといずれ人間はロボットたちのペットになってしまうのかも知れないぞう。 しかし一方映像情報は文字情報に比べ量的には圧倒的に多いデータ処理プロセスを必要とする。そういうものを速やかに処理し判断するには言語処理に代わる新しい脳内活動が必要になるかも知れない。現代の情報洪水の中を巧く泳ぎまわる子供達を観察することで何かのヒントを得ることが出来るのかもしれないな。 しかし、例えば漱石の「こころ」を完璧に映像化することは難しいと思う。。 良い経験をするにはそれに見合った労苦を支払わなければならないという等価交換の原則が仮に真であるとするならば、読破にはそれ相応の知的労苦が伴う文学作品の読書なるものは有意義な時間の過ごし方の一つと言えるかもしれないなあ。だけど良い経験って何なのだろう?
中里介山の「大菩薩峠」は挫折したが・・・。