コメント総数:2321件
門限はなかったような??
のどかな時代だった。
午後10時だったと思う
門限の記憶はありません。 ちなみに、娘・息子にもしたことはありません。
です
門限を考える程、遅く帰った事は無い。大学では3日間帰らなかったこともあるが。いまみたく携帯が無かった。
当時は夜どこのお店でもガキは家に帰って寝ろと相手にされなかった。夕食後に外で騒いでいたのは不良どもだった。そいつらの親は周囲から冷たい目で見られていた。
高校からは反抗期
田舎は街灯も少なく、暗くなるまで
成人するまで。
あったといっても妹が主としてあったような気がするが、遅くなる事は無かったような気がする。
夏と冬とでは門限が違うけど、夕方の6時(暗くなる前)までに帰らないと、飯ヌキの刑が待っていた!
遊ぶ所も少ない時代でしたね。
全く記憶にありません、田舎でしたので夜出かける事もめったにありません
大人になってからは家族そろっての夕食が8時からでした。食事の時間に間に合わない場合は事前に連絡するのは家で食事の支度をする人への礼儀だと父に言われていました。夕食に間に合わない場合でも学生時代は10時頃まで
むしろ社会人になってから門限ができた。
子供の頃から今でも日が暮れるとすぐ眠くなるので親が心配するくらい早く帰った。
門限はいらなかった、新聞配達(夕刊)があった。
ただ必ず連絡をするという決まりはあった。
小学生の時に7時頃まで遊んでたら、母親が探しに来た事はあったけど、それ以降は自分自身でなんとなく怒られない範囲で帰宅していた。
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門限はなかったような??
のどかな時代だった。
午後10時だったと思う
門限の記憶はありません。 ちなみに、娘・息子にもしたことはありません。
です
門限を考える程、遅く帰った事は無い。大学では3日間帰らなかったこともあるが。いまみたく携帯が無かった。
当時は夜どこのお店でもガキは家に帰って寝ろと相手にされなかった。夕食後に外で騒いでいたのは不良どもだった。そいつらの親は周囲から冷たい目で見られていた。
高校からは反抗期
田舎は街灯も少なく、暗くなるまで
成人するまで。
あったといっても妹が主としてあったような気がするが、遅くなる事は無かったような気がする。
夏と冬とでは門限が違うけど、夕方の6時(暗くなる前)までに帰らないと、飯ヌキの刑が待っていた!
遊ぶ所も少ない時代でしたね。
全く記憶にありません、田舎でしたので夜出かける事もめったにありません
大人になってからは家族そろっての夕食が8時からでした。食事の時間に間に合わない場合は事前に連絡するのは家で食事の支度をする人への礼儀だと父に言われていました。夕食に間に合わない場合でも学生時代は10時頃まで
むしろ社会人になってから門限ができた。
子供の頃から今でも日が暮れるとすぐ眠くなるので親が心配するくらい早く帰った。
門限はいらなかった、新聞配達(夕刊)があった。
ただ必ず連絡をするという決まりはあった。
小学生の時に7時頃まで遊んでたら、母親が探しに来た事はあったけど、それ以降は自分自身でなんとなく怒られない範囲で帰宅していた。