コメント総数:1621件
私は戦時下に些細なことで体罰を受け未だに後えい症があります。恨みしか残っていません。それとは別にいろいろな事件で教育委員会や校長が出てきますが何れも人間性のかけらもない馬顔やラクダ顔が並び口をパクパクさせて異口同音の言い訳を述べて、サラサラ責任を感じず中には笑みを浮かべて言い訳しています。彼らは国民の血税で保たれているのにその国民の子息を殺して何も感じないとは如何なものでしょうか?
1回叩いて分からない時、2・3回叩いてしまう。この辺までが、躾による体罰ではないかな?それ以上は、体罰ではなくて、暴力でしかないと思う。叱る側にも問題があるのでは・・・
間違えました。行き過ぎた体罰は良くないが状況により必要な時もある。
「罰」は「罪」があるから受けるのです。例えば、他者の命を危険にさらすようなこと(罪)をしたら、「罰」は必要でしょう。しかし、教師が自分の憂さを晴らすためのものだったら、それは「暴行」です。私は小学校4年生のとき、担任に頭を殴られてから、殴られたほうの耳が聞こえません。殴られた理由は「ただそこにいたから」。クラスメイトが何かしたときに、私も近くにいたので、一緒に殴られたようです。
文言撮り「体罰」を全て禁止とするのは、疑問が残る。 結局は現場の判断に委ねるべきだ。
社会に出ればもっと理不尽なこともある。
はい
体罰でなく犯罪だ
教師の中には、教育ではなく、憂さ晴らしで殴ったり叩いたり暴言を吐いたりするものがいると思う。
状況次第だけで、言葉の暴力に比べたらマシだと思う。しかも昔(?!)は悪い事をしたら叩かれて当然だった。悪い事を教えるためには必要な場合もあると思う
記憶にある。
言ってもわからない人もいます。 体罰は全て悪では無いと思います。
叱らないと、上下関係が薄れ・・・先生の威厳もへったくれもない。私が学生の頃は、愛情もった叩かれ方であり、体罰という言葉の使い方が教育上、間違っていると感じます。 教育者は学生かれ見れば友達でもなんでもない。仲良しこよしで終わるのも良いかもしれないがそれは理想論。幼少時代からデジタル化されて育った子供は、何もなかった時代とは違い、情報に埋もれてそだっている。だからこそ、しっかりとした道筋を示してくれる教育者であってほしいと願います。それはまた親にも同じことですがね・・・
口で言ってもああ言えばこういうタイプの問題児とかだったら最終手段であり得るのでは…。他害の恐れがある場合の制止とか。今回取り沙汰されてるバスケ部の件はあり得ません、人格異常な顧問による暴力です…。
教師を舐めきっている子供がいるのも現実。 体罰なしと決めてしまうと、ますますつきあがる。
愛があれば体罰とはならないと思う。暴力とは違うと思う。今はあまりにも偏見すぎるし、時に必要な場合もあるとおもう。今はあますぎる!!
子供は怖い!
昔は体罰だらけだったと思う…
なに、この結果・・・
悪いことをしたり、間違っていることをして他人に迷惑を掛けたりした時は必要なこともあると思う。ただしその体罰の程度にもよるが…。
コメント総数:1621件
私は戦時下に些細なことで体罰を受け未だに後えい症があります。恨みしか残っていません。それとは別にいろいろな事件で教育委員会や校長が出てきますが何れも人間性のかけらもない馬顔やラクダ顔が並び口をパクパクさせて異口同音の言い訳を述べて、サラサラ責任を感じず中には笑みを浮かべて言い訳しています。彼らは国民の血税で保たれているのにその国民の子息を殺して何も感じないとは如何なものでしょうか?
1回叩いて分からない時、2・3回叩いてしまう。この辺までが、躾による体罰ではないかな?それ以上は、体罰ではなくて、暴力でしかないと思う。叱る側にも問題があるのでは・・・
間違えました。行き過ぎた体罰は良くないが状況により必要な時もある。
「罰」は「罪」があるから受けるのです。例えば、他者の命を危険にさらすようなこと(罪)をしたら、「罰」は必要でしょう。しかし、教師が自分の憂さを晴らすためのものだったら、それは「暴行」です。私は小学校4年生のとき、担任に頭を殴られてから、殴られたほうの耳が聞こえません。殴られた理由は「ただそこにいたから」。クラスメイトが何かしたときに、私も近くにいたので、一緒に殴られたようです。
文言撮り「体罰」を全て禁止とするのは、疑問が残る。 結局は現場の判断に委ねるべきだ。
社会に出ればもっと理不尽なこともある。
はい
体罰でなく犯罪だ
教師の中には、教育ではなく、憂さ晴らしで殴ったり叩いたり暴言を吐いたりするものがいると思う。
状況次第だけで、言葉の暴力に比べたらマシだと思う。しかも昔(?!)は悪い事をしたら叩かれて当然だった。悪い事を教えるためには必要な場合もあると思う
記憶にある。
言ってもわからない人もいます。 体罰は全て悪では無いと思います。
叱らないと、上下関係が薄れ・・・先生の威厳もへったくれもない。私が学生の頃は、愛情もった叩かれ方であり、体罰という言葉の使い方が教育上、間違っていると感じます。 教育者は学生かれ見れば友達でもなんでもない。仲良しこよしで終わるのも良いかもしれないがそれは理想論。幼少時代からデジタル化されて育った子供は、何もなかった時代とは違い、情報に埋もれてそだっている。だからこそ、しっかりとした道筋を示してくれる教育者であってほしいと願います。それはまた親にも同じことですがね・・・
口で言ってもああ言えばこういうタイプの問題児とかだったら最終手段であり得るのでは…。他害の恐れがある場合の制止とか。今回取り沙汰されてるバスケ部の件はあり得ません、人格異常な顧問による暴力です…。
教師を舐めきっている子供がいるのも現実。 体罰なしと決めてしまうと、ますますつきあがる。
愛があれば体罰とはならないと思う。暴力とは違うと思う。今はあまりにも偏見すぎるし、時に必要な場合もあるとおもう。今はあますぎる!!
子供は怖い!
昔は体罰だらけだったと思う…
なに、この結果・・・
悪いことをしたり、間違っていることをして他人に迷惑を掛けたりした時は必要なこともあると思う。ただしその体罰の程度にもよるが…。